伝送不良

きょうも言葉が伝わらない。

急性アルコール中毒で救急搬送された話

 表題の通りです。

 

 大変お恥ずかしい話ですが、自戒の意を込めて状況をここに書き残しておきたいと思います。

 なお出来事を細かく書きたいところなのですが、事態進行中の記憶がほぼ皆無に等しく、また病院へ付き添ってくださった先輩から詳しいお話を伺う機会も未だ得られておりませんので、いま記憶にある部分だけ羅列していきたいと思います。いずれ詳細が判明したら加筆か別記事を立ち上げたいと考えています。それではいきます。

 

 

◆前段

 時は2020年8月末日。学生時代の先輩方に誘われ、夜行フェリーで伊豆大島に渡島し当日の高速船で帰還するという弾丸旅行へ同行することに。三原山付近の展望台へ行ったり温泉に入ったり堤防つりをしたり…大島観光を存分に堪能したのでした。いま思えば、船内で宿泊したとはいえほぼ寝ていないような状態であり、そのうえ夏の炎天下を移動するという状況が予想以上に疲れを生んでいたように思います。

 

◆意識喪失まで

 伊豆大島への弾丸旅行を終え、打ち上げがてら都内某所で食事。同行した旅がそれはもうすこぶる楽しく、先輩方には久々にお会いしたことも相まってテンションが最高潮に達していました。そんな中、緑茶割りを普段なら緑茶2:1焼酎としているところ緑茶1:2焼酎で作ってしまう蛮行を働いたのです。結果、生ビール(中)×1杯とくだんの緑茶割りを2杯飲んで以降の記憶がありません。正確には2杯目の途中で急に記憶が途切れています。そう、そのとき急性アルコール中毒を発症し意識を喪失したのです。

 記憶が途切れるのは本当に突然でした。いつもより酔が回っているなという感覚はありましたが、気分が悪くなるとか吐いてしまうとか、急性アル中に陥る予兆だと判断できる明確な症状はありませんでした。これが“急性”たる所以、恐ろしさだと思います。また前述の通り、想像する以上に溜まっていた疲れや脱水により発症の確率が上がっていたことも考えられます。自らのコンディションをしっかりと把握することも発症を予防するのに必要なことだったと、今になって反省しています。

 

◆救急搬送

 その後、記憶にあるのは閉店時間を迎え起こされた場面、そして救急車に収容されるところでした。意識を喪失した後、嘔吐をしていたようですが記憶にありません。記憶がある場面では多少意識を取り戻している訳ですが、「うー」とか「あー」とか、言葉にならない呻きしか上げられない状態でした。会話をしようにも言葉にならない。「急性アル中かもしれない」という自覚と共にただならぬ恐怖感が襲ってきたのもこのときです。

 最初はタクシーでの帰宅を模索していた先輩方も、あまりの状況に救急車の手配をしてくださいました。そしてストレッチャーが救急車に乗り込むときの振動と音で「あ、救急車に乗ったんだ」ということを認識した覚えがあります。変な知識だけはあって救急隊員氏が名前や住所、電話番号を聞いてくるのは意識レベルの確認であると知っていたので、見栄を張ってしっかり答え、その後は救急車に乗った安心感から緊張の糸を解いてしまうのでした。なるべく迷惑はかけられないという責任感、行き倒れるかもしれないという恐怖感から開放されたのです。身勝手な話ですが、早く楽になりたいという感情には抗えませんでした。付き添っていただいた先輩より聞いた話では「救急車に乗った辺りが一番酷かった」と。本当にすいません。。。

 

◆病院で加療される

 都内某所の病院に搬送され処置室に入った場面、点滴を打ち待合室のような場所で横になっている場面、その後「もう1回点滴打つ?」と担当していただいた女医氏に提案されたところが断片的に記憶に残っています。この頃、延々と襲ってくる吐き気に苛まれていました。出るものが無くなっても吐き続ける地獄。辛い。苦しい。

 そして日付が変わる頃、女医氏から「帰るの?入院するの?入院するとお金かかるよ。帰ろう!」と説得(?)され、タクシーで帰宅することに。正直、かなり辛かった上、更に先輩にご迷惑をお掛けすることを思えば入院させて欲しかったのですが、圧のすごい説得により帰宅という選択肢に頷くほかなかったのでした。

 

◆タクシーで帰宅

 タクシーの車内の状況は一切記憶にありませんが、おそらく座席にビニールが敷かれていた…ような気がします。その間もひどい吐き気に悩まされていたことだけは強烈に記憶しています。

 そして埼玉県内にある実家に到着し、寝ている両親を起こし介助を受けながら帰宅と相成ったのでした。その頃には始発電車が動き始める時間になっており、先輩は電車でご帰宅されました。

 

 その後は皆様から適切な処置をいただいたお陰で、昼前には二日酔いの症状を残しながらも回復することが出来ました。なお二日酔い様の症状は1週間ほど続きました。何物にも形容し難い辛さでありました。

 ご存じかとは思いますが、急性アルコール中毒は命にも関わる事象です。新年度を迎えるにあたり飲酒の機会も増えるかと存じますが、皆様におかれましては是非適切な飲酒を心がけて頂きたいと思います。私も二度とこのようなことが無いようにいたします。

 そして万が一、一緒にお酒を楽しんでいる仲間が苦しそうにしていたら、躊躇わず救急車を呼んでいただければと思います。間違っても放置などはしないでください。助けて頂いた立場から申し上げるのはお門違いかもしれませんが、それでも適切な処置により大事に至らなかった身として言わせていただければと思います。

 この度は先輩方、飲食店様、このような事象に貴重な医療のリソースを割いていただいた消防・医療関係者様、タクシー会社様や運転手様、夜中に起こしてしまった両親、本当に申し訳ありませんでした。なにより最後まで付き添っていただいた先輩には心より謝罪申し上げると共にお礼申し上げます。

 

 楽しい旅行に水を差してしまったことが未だに悔やまれます。自らをよく理解し、楽しい思い出は楽しいまま残せるように気をつけましょう。。。それでは。

 

 

 

 2021年3月3日12時頃:加筆修正しました